一番身近な「両親」から学ぶこと

教育は教育の専門家にお任せ、なんて思っていませんか?幼い頃から「〇〇教室」「△△スクール」という看板に目が釘付け。早期教育・英才教育の名のもとに、お稽古ごとにばかり勤しみ、家庭生活がなおざりになる、これでは本末転倒です。

家庭教育生活の中でどう育っているか?が問われています

私立小学校には様々な形態があります。一貫校・男子校・女子校・カトリック校・プロテスタント校・仏教校・無宗教校、等々。それぞれの学校の伝統や空気感は違っても、昔から変わらず学校が知りたいと考えていることは「その子が、どんな親の元、どんな家庭で育っているか?」です。おそろしく感じられるかもしれませんが「子を見れば親がわかり、親を見れば子がわかる」は真実なのです。

小学校受験の中で、最も重要視されているポイントは「子どもの家庭教育によって育っている部分」、つまりその子の本質です。

そういうことに思いも及ばず、知育教材集めに奔走し、前倒し的な教育に没頭していては、本当の意味での「賢くて、豊かな子ども」は育ちません。幼い子どもは、まだまだ柔らかいですからね。私立小学校に通い、毎日、その学校の教育を受け、その学校の空気の中にいれば、「早い段階でその学校のカラー」を身に着けていきます。言わば、学校教育という新しい上着を羽織ったようなもの、と言えば良いでしょうか。
しかし、その子の本質は、親のDNAを受け継ぎ、親によって毎日育ってきている、だからこそ、学校は、その「家庭」を知ろうとし、「家庭」を見ているのです。

家庭が子どもの心を育む

美しいものを見て「美しい」と感じる思い、傷ついたものを見て心から「かわいそう」と哀れむ優しさ、悲惨な出来事に憤る気持ち、これらは「教えられて学ぶ」というものではなく、幼い頃から家庭の中で、一番身近なご両親から「自然に育まれる心」です。一番身近な「両親」から学ぶこと

たとえば…
冬の寒さが残る3月、でもどこかに春の息吹が感じられるようになったある日。裸だった木の枝にもよく見るとあちらこちらに黄緑色の新芽が見つかりました。 「あっ、あの枝を見て!この間まで裸だったのに、今日は小さな新芽がついているよ!もうすぐ春がやってくるんだね」こういうお母様の感受性、自然への優しさ、こういうお母様に育てられた子どもは、きっと春の喜びを感じる事の出来る、心やさしい子どもに育つでしょう。

ある朝、お母様は我が子の大好きなぬいぐるみに、ほころびがあるのを見つけます。「あなたのくまちゃん、腕のところがほころびているわ。今日1日、ママ病院に入院させてあげてくれる?このままじゃかわいそう。ママがお医者様になって治してあげましょうね!」 大事にくまちゃんを抱っこしたママ先生は、愛情込めてくまちゃんの修理をします。きっとこの子には優しい心が育つでしょう。

「ママ、このお靴、ちょっと痛いよ」ついこの間までぴったりで履けていた靴、「あらまあ、あなたが大きくなったからよ。すごいわねえ、どんどん大きくなるのはパパもママもうれしいなあ。新しいお靴を買わなきゃいけないけれど、その前に、今日まであなたの足を守ってくれたそのお靴に、長い間ありがとう!ご苦労様!って言ってあげましょう」きっとその子は、これからも物を大事にするでしょう。折り紙でもスケッチブックでも、何でも粗末にする子ども達は、まわりの大人から物を大事にする心を教わっていないのです。

人の心や感性は、幼い頃から家庭の中で、親、兄弟姉妹の行動や言動、無言の空気を体感する中で、自然にゆっくりゆっくりと育っていくものであり、決して、教えられて会得するものではありません。長い目でお子様の成長を見つめ「人として生きていくための、心を育てる家庭生活」を大切にしてください。

受験準備という「一つのチャンス」を利用し、子どもに「自分の力で考える喜びを知り、出来なかった事が出来るようになった時のうれしさ、頑張ることのすばらしさを知ってもらう」、そういう本当の意味での「学ぶことのすばらしさ」を、心と頭、双方で会得してもらう機会にしなければ意味がありません。

幼児教室マナーズ の「まどか先生メソッド 」は、そういう家庭生活をサポートする役割も果たしています。