「太郎君」から学ぶこと

縁あって太郎君(仮名)が教室にやってきました。すでに大学院を卒業し、社会人1年生の太郎君が話してくれたこと・・・世の中のお父さん、お母さんは、太郎君の話を通して、あらためて「賢さ」について考えてみてください。

太郎君が感じた理不尽

「偏差値が高い、偏差値が低い」の意味はおわかりですね。
その上で「太郎君(仮名)」のお話をきいてください。
彼は、幼い頃から「お利口さん」「賢い子」と呼ばれ続け、中学、高校、大学と、非常に偏差値の高い学校で学び、社会人になりました。
両親はずっと賢い息子を持ったことが誇らしく、太郎君自身も自分の成績にも学歴にも自負がありました。
そんな太郎君には苦い思い出があります。それは、大学に入学し、アルバイトを始めてからのこと… 友人達の多くは「家庭教師」のアルバイトをしましたが、太郎君は今までとは全く違った世界も知りたくなり、飲食系のアルバイトをすることに決めました。ご両親は「そんな、誰でも出来るようなアルバイトなんて、あなたがすることじゃないわよ。」と猛反対。けれど、太郎君が「初めて、違う世界を見てみてもいいかな…」と思ったタイミングだったので、思い切って始めました。
行ってみて… すぐに太郎君はアルバイトの同僚達のことを「自分よりも見劣りする奴らだな…」と感じました。くだらないことでよく笑い、群れて、よくしゃべる…

実際に仕事が始まると… どうしたことか、常に優秀で褒められる存在だった太郎君なのに、お店が忙しくなると、決まって上司に怒鳴られました。
「おい、太郎!もっと気を利かせろよ!指示される前に動けよ!」
「自分の手が空いたら、他の奴らを手伝え!目、見えてんだろ?!」
太郎君は「パワハラだ!この店はブラックだ!」と不満が募りました。
「何が悪い!真面目にやってるじゃないか!やるべきことは、すべてやってる!もっとやって欲しいことがあるんなら、怒鳴る前に指示を出せばいいじゃないか!」

両親に言うと、そんなところはすぐに止めなさい!あなたがいる世界じゃない!と一緒に憤慨してくれました。でも、太郎君は、あんな奴らに負けたくはない、という思いが強くあり、怒鳴られるたびに悔しい思いをしながらも、そのアルバイトを続けました。
数か月が過ぎた頃、店が改装するためにお休みになり、同僚からバーベキューに誘われました。太郎君、ちょっと意外でした。「こいつらに誘われた…僕が見下していることに気づかなかったのか?」

幸いにも好天に恵まれ、同僚達との一日が終わりました。
たくさん話しました。勝ち負けでも、優劣でもなく、「横ならびの仲間達」。
重そうに荷物を運んでいると、誰かが助けにきてくれて、簡易のテントを張るのに苦労をしていたら、すぐに声がかかり、手伝ってくれる…
ベッドに入った太郎君、なかなか寝付けませんでした。今までの人生では、経験したことのない時間でした。競いもせず、勝負もせず、フラットな目で他人を見る。困っていると助けてくれ、そこにさげすみの目もない…優劣もない・・・
 「今まで僕は、自分のまわりに目を向けたことがあっただろうか?挑戦的ではなく、戦ったり、競ったりするためではなく、穏やかな気分でまわりの人を見たことがあったかな?誰かのために、何かしたことはあったかな?無防備に笑ったり、話したりしたことってあっただろうか…」
 白黒だった世界から、じわじわと色のついた世界に入っていくような気持ちがしました。「見劣りする奴ら」を、太郎君は「僕のバイトの仲間」と感じました。

「おい、太郎!もっと気を利かせろよ!指示される前に動けよ!」
「自分の手が空いたら、他の奴らを手伝え!目、見えてんだろ?!」
その夜、初めて上司の言葉が心届いた気がしました。

親は毎日「種まき」をする

いかがですか?「太郎君」のお話。
きっと太郎君は、幼い頃から、両親の「太郎、〇〇しなさい!」「△△をしなければなりませんよ!」「□□してはいけません!」の言葉を忠実に守る、親にとって育てやすい良い子だったでしょう。そして、何をしてもきちんと結果を出してくれる、自慢の息子だったでしょうね。
そして太郎君は「僕、○○してみたい!」「お友達がね、△△をしてるんだよ。僕もやってみたいよ~!」と駄々をこねたようなこともなかったのでしょう。

大人は、幼い子どもというものは「何事にも興味津々になれるものだ」と誤解をしている、と思います。生まれつき、とっても感性が豊かな子はいますね。確かに、そういう子どもの場合は、誰が何を言わなくても、小さな頃から自分の身の回りのことにキョロキョロと目をやり、ある時は熱心に見つめ、目を丸くしたり、しかめっ面をしたりしながら、いろんなことを感じている…
でもね、実際には、天性のものを持った、そういう子どものほうがはるかに少ないでは、どうすれば後天的に「何事にも興味津々の子ども」になるのでしょう?
その答えは… 最も子どもの身近なところにいる両親が、意識的に白紙で生まれてきている我が子に、せっせといろいろな「種まき」をしてあげること。毎日の家庭生活そのものが「学びの場」です。窓から見える空も雲も、お風呂の時間も、キッチンからの音も、どんなことも「おもしろい」や「不思議」「すごい」という感覚を持って暮らしていると、すべてが驚きや楽しさになるのです。そこから感性が磨かれ、新しい言葉や表現を学ぶ・・・(このあたりは「まどか先生メソッド 」も参考にしてください)
そして、せっかく種を蒔いたのですから「光を当て」「水をあげる」ことを忘れずに。
つまり、声を掛け、注意を促し、話してあげること。そうすべきだということを、常に意識して繰り返していれば、どんな子もみな「何事にも興味津々」な子どもに育っていきますよ。

「太郎君」は大勢います
太郎君のご両親の考える「優秀さ」というものには、とても「偏り」があったのでしょう。そして、「人として豊かであること」については、あまり考えが及ばなかったのかもしれません。
自分達の尺度での「良い子」を求め、自分達が育てやすい、自分達が自慢できるような子どもに太郎君を育てました。幸いにも、太郎君も途中で反発もすることなく、「親の理想」「親のスタンダード」の世界の中で成果を出してきた…

幼い頃の太郎君、いえいえ、すべての子ども達にとって、幼い頃は「自分の両親と家庭が世界のすべて」です。どんな子どもに育つのか?その基盤を築くのは両親であり、家庭なのです。
大人でも子どもでも「ほめてもらうこと」はうれしいことです。自分が身を置く世界で成果を出し、ほめられる… きっと太郎君は、真面目に取り組む「ほめられコレクター」だったことでしょう。でも、もし、それだけであったならば、あまりに寂しいです。ほめられたい一心で両親の言う事、先生の言うことを充実に守り、真面目に取り組んだものの、その姿勢に「是非これをやってみたい!」という熱意や、ワクワク感がそれほどなかったとしたら?
本来、幼い子どもにとっての日々の暮らしは「ワクワクする学びの宝庫」です。そのワクワク感を育てる種まきを是非とも大事にしてください。

せっかく聡明な頭脳を持ちながら、その頭脳を使い「自分自身のために、意味のある、有意義で豊かな人生を歩むための発想や意志」を日々の暮らしの中で育んでもらえなかった、とも言える太郎君。親が常にすべきことを与え、課し、成果をだしてきた「自慢の息子」の太郎君。
彼が相談?を終えて教室を出る時、語った言葉が忘れられません。「先生、僕みたいな子はたくさんいると思いますよ。僕は、一時、偏差値が高いってことだけが取り柄の自分に育てた親のことを恨んだことがありました。でも、それも違うことに気づいたんです。僕は「これから」の人生を、大いに楽しもうと思います。社会の中で競争をすることがあっても、比較されることがあっても、その時はその時。今の僕は、何でも楽しいし、何でも面白いなって思う。ここの教室では、子どもの頃から、そういうワクワクするような毎日を過ごさせてあげてください!」