理解に苦しむ「私立」小学校

伝統と格式、建学の精神

小学校が創立されてからの「年月」だけを問題にすれば「私は〇〇県出身ですが、卒業した小学校は
すでに創立してから100年にもなる立派な伝統校ですよ」とお話しくださる方もおいでになるでしょうね。はい、確かに立派な伝統がありますね。

しかし、私立の小学校の場合の伝統とは、創立されてからの年月という時間的な経過だけを言うのではありません。

公立の小学校は、多くは市町村の傘下にあり、文部科学省、古くは文部省で決められた「全国統一の指導要領」によって成り立っています。それに対し、私立の小学校は、ある人物、ある団体、ある企業が「こんな子どもを育てたい、そのためにこういう教育を施したい」という建学の精神、教育の理念を掲げ、私財を投じて創立した学校です。そういう世界観の中での教育は、最初から各校の「色合いの違い」があり、その建学の精神に基ずく教育の年月は、おのずと深さ、重さを持つことになります。そして、そういう積み重ねの中で、格式が生まれ、育ち、無機質なはずの学校の中に威厳が備わっていくのです。

また、「この学校で学ばせたい」という強い思いを持った家庭が毎年集い、子どものみならず、両親もその世界観の中に自然と入り込み、学校への深い愛情と愛着を持って過ごす、我が子が卒業した後もその思いは消えることはないでしょう。

数値には置き換えられない世界観

お父様A「正直、異次元に入り込んだ気分でした。その日の気温は30度で真夏を思わせる暑い日だったんです。妻にせがまれて行ったそのカトリック校の説明会の会場は後ろから見たら紺色一色なんです。平日なのに、お父さんの姿もチラホラあって、いったいなんだこりゃって思いました」

お父様B「みんな、神妙な面持ちで。講堂にはたくさん人が入っているのに、校長先生が現れたら、急にみなの緊張感が空気になってね。帰り際も出口に立ってたおられた校長先生に、みなさん深々と頭を下げて。実際、まだ我が子が入学するかどうかもわかんないのに。なんか、わかんないです、正直なところ」

お母様A「うちは女の子だから、この大学までの一貫校に興味を持ったんですけれど、下の子は男の子だから、息子の時には別の学校を考えても良いのですよね。私は大学受験ではあの大学は合格したけど、〇〇大に合格したので行きませんでしたもの」

こんなふうに正直に話してくださった3名の方々は、みな首都圏以外のご出身で、似たような経歴をお持ちでした。幼い頃からご優秀で、高校は県下でも1、2のトップ校。その後も高い学歴をお持ちで、現在は首都圏でお仕事をされている。

私は、このように正直にお話しいただけて良かったなあと思ったものです。人は誰であっても「経験のないものごとは、なかなか理解できないもの」ですから。どんなに「〇〇屋のスフレは美味しい!」と絶賛されても、スフレが何かわからず、スフレを食べたことがない方にとっては、その情報はチンブンカンプン。これと同じことです。

ここに登場をしていただいたお父様、お母様の今までの人生での「学校のバロメーター」は、きっと偏差値のような数値であり、そういう分かり易いものでほぼすべてを判断されてきたのだと思います。実際にそれで十分に通用したからです。

しかし、首都圏の私立小学校、私立一貫校は、数値で置き換えることのできない世界観、価値観があるのです。このことを理屈で100%理解していただくはやっぱり難しいかもしれません。ただ、「そういうものがあるのですね」と、批判や批評をせずに、「なるほど、なるほど。今の年までしらなかった世界を見せてもらえるわけだ」と、受け入れ、楽しんでいただきたい、それが私の願いです。

この3名の方々のお子様達も、私立小学校に進学されました。1年が過ぎ、2年が過ぎ、そしてしみじみと話してくださったことは「先生、今思えば、初めて学校説明会に行った頃の私には、東京や神奈川の私立小学校を理解するような価値観自体がなかったのですよ。私が育った町では、中学まではみんな一緒。ワーワー言いながら自転車に乗ったりして通学して、高校受験の時には成績によって進む学校は違ってきますが、それは分かり易いじゃないですか。高校になって初めて電車通学になってね。ははは、うちの子は、私よりも9年も早くから電車通学ですよ、優秀、優秀」

どんな人にも大なり小なり同様のことは起こります。でも、自らの経験に裏打ちされないことであっても「受け入れること」からしか始まらないこともありますね。私立の小学校受験では、どうぞ、五感、感覚を駆使して「そうかあ、なるほどねえ」を増やしてください。